総社市の『歴史』について<室町時代編>

■概要

総社市のWikipediaには、総社市の歴史について触れられている。

そもそも歴史があまり得意ではないが、総社を知る上で歴史は押さえておく必要があると思ったので、今回は『歴史(室町時代)』について触れてみる。

なお、室町時代は1336年~1573年に相当する。


総社市のWikipediaのURLは以下の通り。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E7%A4%BE%E5%B8%82



■巨匠・雪舟

総社市民ならみんな知っているであろう雪舟。


1420年、備中国赤浜に生誕。

幼い頃、井山宝福寺に入り、僧となる。

10歳頃、京都の相国寺に移る。この時、禅を春林周藤から学び、絵を天章周文から学んだ。

1454年、周防国(現在の山口県東南部)に移り、守護大名である大内氏の庇護を受けて、画室雲谷庵を構える。

1465年、楚石梵琦という高僧より、雪舟二大字を得る。この頃から「雪舟」を名乗ったと考えられている。(「二大字」の意味は調べても分からなかった・・・。)

1467年、遣明船で明へ渡航。約2年間本格的な水墨画に触れる。明の画家である李在より中国の画法を学んだとされる。

1469年、明より帰国。

その後、周防国(山口県東南部)、豊後国(大分県)、石見国(島根県西部)、美濃国(岐阜県南部)、丹後国(京都府北部)など全国に赴き、創作活動を行う。

没年は、1502年や1506年など様々な説がある。



雪舟の逸話として有名なのが、涙で描いたネズミ。

このネズミが、総社市のゆるキャラであるチュッピーのモデルにもなっている。


雪舟が神格化されたのは、江戸時代。

室町時代中期から江戸時代末期まで400年にわたって活動していた画壇である狩野派が、雪舟を師と仰いだ事が大きい。

これにより各大名が雪舟の作品を求めた事で、日本を代表する歴史上の人物の一人となっている。


▼参考文献



■「総社宮周辺は門前町として、さらには宿場町として栄える。」

Wikipediaに記載されていた文章をそのまま記載したが、よく分からなかったので深堀してみる。


門前町とは、有力な寺院・神社の周辺に形成された町であり、社寺関係者および参拝客を相手にする商工業者が集まることによって形成される。

宿場とは、五街道や脇往還において駅逓事務を取り扱うため設定された町場。

五街道とは、日本橋を起点に伸びる東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五つを指した陸上幹線道。

脇往還とは、五街道以外の主要な街道。

駅逓とは。旅人の宿泊や運送、郵便の役割を担った施設。


つまり、

奈良時代に総社宮が建立し、ここに参拝する参拝客が来る。

参拝客が来るので、自然と商人も集まる。

参拝客と商人が集まるので、宿泊や運送のポータルとしての需要が高まる。

結果的に、宿場町として栄える。



■最後に

雪舟について表面しか知らなかったけど、「雪舟」という名前は人からもらった名前というのも初めて知った。

京都で修行してたとか、明に行ってたとか、狩野派が一役買ってたとか、歴史の授業で学んだような学んでないような・・・とりあえず改めて学べてよかった。


門前町となり、宿場町として栄えたというのは、現在でいえばどの辺りで歴史に触れる事ができるんだろうか。

旧堀和平邸とか総社まちかど郷土館がある商店街通りとかが、その名残だったりするのかな・・・?



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