総社市の『歴史』について<平安時代編>

■概要

総社市のWikipediaには、総社市の歴史について触れられている。

そもそも歴史があまり得意ではないが、総社を知る上で歴史は押さえておく必要があると思ったので、今回は『歴史(平安時代)』について触れてみる。

なお、平安時代は794年~1185年に相当する。


総社市のWikipediaのURLは以下の通り。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E7%A4%BE%E5%B8%82



■湛井堰の築造

総社市井尻野にある『高梁川合同堰』の歴史は、平安時代まで遡る。

言い伝えとしては、岡山県HPの以下のページに掲載されている。

https://www.pref.okayama.jp/page/269434.html


現在の岡山市妹尾を指揮していた妹尾兼安という武士が領主として、妹尾郷の農業を行っていた。

しかし、雨の少ない年には米や野菜が収穫できなかった。

そのため、高梁川の上流である、現在の総社市井尻野に湛井堰を築造した。


これは『十二ヶ郷用水』とも言われ、総社市はもちろん清音村、山手村、岡山市、倉敷市に及び約5千ヘクタールの農地を潤している。

十二ヶ郷用水については、岡山県HPの以下のページに掲載されている。

https://www.pref.okayama.jp/page/269449.html



■最後に

Wikipediaに湛井堰の話しか載ってなかったので少なくて申し訳ないですが、総社市を含む現在の用水の起源となったのは平安時代だったんですね。

しかも、妹尾に存在していた武士がきっかけというのも初めて知りました。


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