総社市の『歴史』について<昭和時代編>

■概要

総社市のWikipediaには、総社市の歴史について触れられている。

そもそも歴史があまり得意ではないが、総社を知る上で歴史は押さえておく必要があると思ったので、今回は『歴史(昭和時代)』について触れてみる。

なお、昭和時代は1926年~1989年に相当する。


総社市のWikipediaのURLは以下の通り。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E7%A4%BE%E5%B8%82



■総社市の誕生

前回寄稿した明治時代編において、大政奉還の影響による行政区画の統廃合により、「総社村」が誕生し、「総社町」が誕生した事を記載した。

昭和に入っても、まだ統廃合は止まらない。


  • 1951年、『吉備郡総社町』は、「吉備郡服部村」「吉備郡神在村」と合併。
  • 1954年、『吉備郡総社町』は、「秦村」「都窪郡三須村」と合併。
  • 1954年、『吉備郡総社町』は、「新本村」「山田村」「久代村」「池田村」「阿曽村」「都窪郡常盤村」と合併
    • →これと同時に、市制の施行により、『総社市』が発足 ←総社市の誕生
  • 1972年、『総社市』に、「吉備郡昭和町」を編入。


なお、明治編は1908年で締めくくっていて、昭和編は1951年から始まっていて、43年ものブランクが生じている。

詳しい話は分からないが、第二次世界大戦などが発生した影響で、統廃合どころの話ではなかったのだと推察している。



■財政再建団体の適用

1956年~1965年の間、財政再建団体の適用を受ける。


「財政再建団体」とは、Wikipediaによると、

・朝鮮戦争終結による反動不況の影響を考慮した、自治体を救済する仕組みとして施行された制度

・赤字額が標準財政規模を超えた破綻状態にあり、地方財政再建促進特別措置法基づき財政再建計画を策定し総務大臣の同意を得た地方自治体の事を「団体」という

・適用中は地方自治体として主体的に「地方自治」を行えない、すなわち、国の指示に従う必要がある

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A1%E6%94%BF%E5%86%8D%E5%BB%BA%E5%9B%A3%E4%BD%93


第二次世界大戦後の日本の状況を鑑みると、Wikipediaにも記載されている数多くの地方自治体が団体となっていた理由も推察できる。



なお、少し前の総社市議会でも「財政再建団体にならないためにはどうしたらいいか」という議論がなされている様子。

というのも、2006年に北海道夕張市が財政破綻により財政再建団体となったため、夕張市のようにならないためにはどうしたらいいかというのが主題らしい。



■オイルショックやバブルの影響

平成生まれの私からすると、昭和という時代は「第二次世界大戦」「オイルショック」「バブル」の印象がある。


オイルショックは、1973年と1979年の2度。

バブルは、1986年12月から1991年2月の51ヶ月。


オイルショックやバブルについて、総社市にどのような影響を与えたのか調べてみたが、情報が何もなかった。

これについて知っている人がいたら教えてほしいです、、、、、



■最後に

明治時代は大政奉還後の統廃合で忙しそうだったけど、あくまでも日本国内だけで忙しかったという印象。

昭和時代に入ると世界的な影響により忙しくなっている事が分かる。


特に、戦争真っ只中だった時代の情報があまりなかったので、ここについては今後ゆっくり深掘りしていきたいと思う。


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